この半年ずっと楽しみに待っていた映画「キャロル」を観に行きました。
パトリシア・ハイスミスが偽名でしか出版できなかった小説が、色を纏って動き出す。美しい横顔や街や郊外の景色、タクシーの窓の雨粒や舞い散る雪、タバコの煙。トッド・ヘインズ監督の切り取るシーンは細やかで薫りまで映りこちらに伝わるようでした。
1950年代のアメリカ、何不自由なく暮らしているエレガントで美しいキャロルとフォトグラファーに憧れるあどけなさの残るテレーズは出会う。だけど、離婚調停中のキャロルは夫の飾り物の人生ではなく自分自身の人生を見つめている。テレーズはまだ自分の人生が見えず、そのことにも向き合えずにいる。そんな2人が出会って惹かれあい、真に生きようとする物語。
原作では(珍しく原作を読みました)テレーズの視点のみで語られていたけれど、映画では2人が主役になっています。読解力のない私にはキャロルがテレーズを見つめる視線を読み取れなかったけれど、映画では2人の視線がしっとりと重なり合うことで、言葉なんて意味をなさないもののように思える。天から降りてきたようなテレーズが、どう言葉にすればいいのかわからない感情に揺さぶられ、その気持ちにキャロルが応える。だからラストシーン、これから待ち受けることがなんであれ私とあなたなんだという「終わりのはじまり」に嗚咽を我慢して画面を見つめてました。
夫がいて子供がいて、だから妻で母親であるけれど同時に私自身でもある。私は「まるっきりすっかり私」である時間が欲しくて絵を観たり寒いベランダでコート着て珈琲飲んでみたり手芸したり散歩したりして1人の時間を作っている。その中で一番好きな時間が、大きなスクリーンに映し出される映画を観ている時間。馬鹿げてるかもしれないけど私にはとても大切な時間。今日の大切な時間に、この映画に出会えてよかった。
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by tatsukobb
| 2016-02-17 21:01
| 映画